2014年5月31日土曜日

埋もれた記録

深山奥山だより 5月31日7度 上滝金山あたりの山並みも緑が日に日に濃くなっている。金山の歴史〓天正十三年以前の記録が欠落している。いうまでもなく、大地震で帰雲城が埋没し、内ヶ嶋氏理の居室のどこかに秘蔵されていた絵図、記録、城郭の内部、地下にあったであろう金銀鉱山物の倉庫も地下に眠ってしまったからだ。いっさいは秘密であった。大名も一個の企業である。機密が厳守できれば、もし戦いに破れても取引できるからだ。金鉱の正確な所在地、採取の方法、産金量、倉庫、工場の場所、主な技術者の名前、住所、いっさいが他国には機密であった。他国ばかりか、城内の人たち、親類でも、あるいは知らされなかったろう。全体をつかんでいるのは、当主と技術者のほか、何人いただろう。〓佐々氏は書いている。

2014年5月24日土曜日

向牧戸城に連なる山々

深山奥山だより 5月23日7度 白川郷は宝の山だった。内ヶ嶋氏は、三代120年、宝の山を懐にして、戦国不在の繁栄を楽しんできた。これから、というときに、何という偶然、何という悲運、戦争ではなく、十六世紀最大の激しい地震と地震によって起こった帰雲山の山崩れで、帰雲城もろとも内ヶ嶋、白川王国は埋没したのである。日本地震資料の年表に、こうある。天正十三年十一月二十九日。山城、大和、河内、摂津、備前、三河、伊勢、尾張、美濃、飛騨、近江、越前、加賀、紀伊、讃岐。越中木船城崩ル、飛騨白川谷ニテ死者三百人、近江長浜、美濃大垣震火、余震年ヲ越エテ止マズ。この同じ地震で京都も大きな被害を受けた。三十三間堂の仏像六百余体がことごとく倒れた、と貝塚日記に記されている。まぼろしの帰雲城より〓

2014年5月22日木曜日

山笑う

深山奥山だより 5月22日4度 久しぶりの奥山だよりになってしまった。介護生活に慣れてきてほっと一息辺りを見渡せば、もう山笑う季節になっている。尾上郷入り口から対岸の山々を眺める。真正面の山に大きな城跡があったなんて〓今でも信じられない。地元の人たちも知らなかった謎の城。なぜ伝わらなかったのか〓伝えられなかったのか〓今はただひっそりと湖面に佇んでいる。

2014年5月6日火曜日

蕎麦屋がイメージチェンジ

深山奥山だより 5月6日0度 式部の庵が更にカントリーの店にイメージチェンジ。ライブの出来る店に又一歩近ずく。イスとテーブルが増えるたびに若かりし頃、銀座に通ったシャンソン喫茶銀巴里を思い出す。今は思い出の中でしか行けなくなって残念〓貴重な体験をさせていただいた。ライブハウス式部の庵へぜひいらしてください。

荘川桜

深山奥山だより 5月5日4度 今年の荘川桜は一年おきに咲くと言われるように、満開の素晴らしい姿を見せてくれた。五月三日の朝6時半早くも駐車場は満車。どうにか停めてその姿を収めた。いつ見てもあのごつごつとして、苔むした太い幹には感動し圧倒される。淡い桜色の花が青空いっぱいに広がっている。長い冬を今年もじっと耐え抜いてようやくたどり着いた春〓歓びに溢れているかのよう。行き交う人々の心に寄り添い暖かく包み込んでくれる。御母衣ダムの湖畔に佇んでいる荘川桜は心の故郷〓