2013年12月28日土曜日

冬のかしの木さま

深山奥山だより 12月27日マイナス1度 毎年の恒例となった27日餅をついた。今年は義父が栃の実を拾って、義母がアクをしてその実を入れてついた。栃の実のいい香りが立ちこめて手作りの醍醐味を味わった。豆餅は餅米に黒米を混ぜ、そこへ黒豆を入れてついた。塩味のきいた香ばしい豆餅もとっても美味しい〓黒米を少し入れる事で紫がかった色になり、格調高いお餅になった。いろいろ雑穀を混ぜて試すのも楽しい。

クリスマス商戦

深山奥山だより 12月26日マイナス7度 日本でのクリスマスは1552年に現在の山口において宣教師が降誕祭のミサを行ったのが始まり。1900年に明治屋が東京銀座に進出し、その頃からクリスマス商戦が始まった〓とある。商戦に乗せられたとは思わない。大人から子供まで幸せなひとときを過ごせるクリスマスに感謝〓

年賀状

深山奥山だより 12月25日マイナス11度そろそろ年賀状を書かないと間に合わない。毎年素敵な年賀状の届くのが楽しみ〓何年分かを集めて額に入れ正月飾りにしている。手書きの味わいは又来年の楽しみを与えてくれる。

2013年12月26日木曜日

クリスマスはカントリーソング

深山奥山だより 12月24日マイナス10度かなり冷え込んだ。クリスマスはやはり寒くても雪があった方がいい。表は雪〓家の中は暖かい。カントリーソングで過ごすクリスマスは何故か日向の匂いがする。

農村にこそカントリーライブ

深山奥山だより 12月23日マイナス5度 式部の庵に楽器がどんどん増えていく。いつになったらカントリーライブができるのか。準備は着々と進んでいるけれど演奏者が今のところ約一名〓はーやーくーこいこいカントリーライブの日〓

銀世界

深山奥山だより 12月22日マイナス7度 明け方又雪になった。木々に雪が降り積もって花が咲いたように美しい〓思いがけない銀世界が広がった。

映画は素敵

深山奥山だより 12月21日マイナス6度 映画と言えばマレーネディートリッヒ主演のカサブランカやモロッコ、嘆きの天使などが思い出される。百万ドルの足と言われた脚線美はあまりにも有名。又グレタガルボも二大スターとして一世を風靡した。今でもキネマ旬報の本を夢中になって読んだ青春時代が懐かしくよみがえる。映画は素敵〓そろそろじっくり映画鑑賞をしてみたい。

2013年12月24日火曜日

ゆいの心

深山奥山だより 12月20日マイナス3度 降り積もった雪が固くなり実家の駐車場も雪だるま〓隣のおじさんが除雪機で雪かきしてくださって大助かり。ゆいの心で助け合い〓田舎暮らしのいいところだ。ありがとうの言葉を一日に何回も言うのは元気の秘訣だと思う。

2013年12月21日土曜日

年越しそばも間近

深山奥山だより 12月19日マイナス2度 今年も後わずかになった。そろそろ大根とニシンのすしを漬ける時期が来た。麹、あげ、人参、冷やごはんが揃えば塩を振って漬けるだけ〓発酵食品の代表格。 年越しそばも、白山の白打ち、田舎の太打ち、喉ごしのいい細打ちの三種を揃えてお迎えしている。十割そば以外に二八そば、そばがき、山野草てんぷら、そばだんご、白黒付けてすっきりごまあんこ玉、どぶ汁などがある〓伝統食が基本になっていて体に優しいお品書きが自慢〓

2013年12月19日木曜日

準備万端整えて

深山奥山だより 12月18日マイナス3度 朝8時から実家の屋根の雪下ろし。私の仕事はいつもまず梯子を下で支える事。上から雪のかたまりが落ちてくる。今年は雨傘をさして左手と足で支える事にした。大正解〓屋根の上に無事主人が上がったのを確認してから母の朝食の準備。屋根から落ちる雪の音が母には聞こえないらしく、雪下ろしの音がしないのはどうして〓と心配する。いろんな煩雑な事が聞こえなくなってのんびりと一日が過ぎていくようだ。大好きな演歌番組に丸印を付けてボリュームいっぱいにして楽しんでいる。一人暮らしの気楽さで〓

2013年12月17日火曜日

クリスマスも間近

深山奥山だより 12月17日マイナス3度 雪も今日は止んで曇り空の小康状態。どの家も屋根の雪下ろしが始まる。最近は屋根の上で雪を溶かす方法、屋根から雪が滑り落ちるようなシートを張ったり、屋根を張り替えたり、様々な雪害対策が進んでいる。 昔ながらに屋根に上がって雪下ろしする家もまだ多い。エントツからサンタクロースが入って来てプレゼント〓そんな幼い頃の夢は壊さないでずっと伝えてほしい。朝枕元をそっと探るのが楽しみだったあの頃を思いだしせつなくなった。父が岐阜市内へ仕入れに出かけて行き、その帰りに素敵なプレゼントを買ってきてくださった事はずっと後から知った。今は亡き父にあらためて感謝する。

おつうちゃんも修行の身

深山奥山だより 12月15日マイナス5度 冬はさすがに寒くておつうちゃんも外出を控えている。仏間でお数珠を見ると興味を示す。好き嫌いがはっきりしていて、気に入らないと無関心。本当に自在な境涯だ。お数珠を見ると目の色が輝いてくる。おつうちゃんも修行の身か〓

2013年12月15日日曜日

車も埋もれそう

深山奥山だより 12月14日マイナス7度 大変な雪の中実家にたどり着く。駐車場に無理に突っ込む〓50センチの積雪。屋根を見上げれば1メートルはたまっている。年内には屋根の雪下ろしをしないと〓と思ってため息をつく。あんな高い所私にはとても上がれない。主人には今年もお世話になりそう〓一人暮らしのお年寄りも増えている。助け合いが根付いている田舎暮らしのありがたさを思う。

今日も大雪

深山奥山だより 12月13日マイナス3度 今日も雪は降り止まず。明け方3時位から除雪車の音が響いて積雪がある事を知らされる。車を出すためにまずスノーダンプで雪かきから始まる。寒さから一変〓汗が滲む。運動不足解消。突然の大雪で杉の木が国道に倒れ掛かり今にも折れそう。早く撤去されないかなと願いながら通る。

突然の大雪

深山奥山だより 12月12日マイナス6度 荘川町の中でも高山市に近い六厩が少なく、ひるがの高原から郡上方面が大雪になった。高速道路も荘川高鷲間が通行止めになった。豪雪で知られる白川村は今回少なかったようだ。近年集中豪雨が被害をもたらすように、冬もゲリラ豪雪が増えたように思う。自然を侮ると大変な事になる。心して行こう〓

京の秋

深山奥山だより 12月11日マイナス3度 艶やかな店内から一歩表に出ると鉛色の空が広がっている。大雪情報が出されている。いよいよ冬本番かと身構える。この秋はカメムシが少なかったので雪も少ないかもしれないと言われる。スキー場だけ降ってくれればいいと身勝手な願いをしている。

虹が出た

深山奥山だより 12月10日マイナス2度 思ったより暖かい朝だなと感じた。昼過ぎ雲行きがあやしくなって小雨になる。時折日差しもあり、降ったり止んだりしながらだんだん気温が下がってきた。二時頃表に出ると綺麗な虹が裏山に架かっている。あっ虹だ〓急いで携帯を持ち出して写す。ほんの二三分で消えてその後は雪降りになった。一瞬の出会いに感謝する。

舞妓さん

深山奥山だより 12月9日マイナス4度 夜久しぶりに白川郷まで行った。途中荘川桜を通り過ると道端に何かの気配〓なんと大きな日本鹿の雄〓今まで見た事のない立派な角をもたげて、闇の中にスックと浮かび上がった。ライトに照らし出されてこちらの方に飛び出して来ないかと驚いた。急ブレーキをかけるわけにはいかないので、冷や汗が出た。じっとこちらを見ながら佇んでいた。胸をなで下ろしゆっくりしばらく走ると、今度は小さなテンかイタチのような細長い小動物が目の前を横切って行った。スピードを出していたらと又冷や汗〓帰りに白川郷を後にしてダム沿いに上り坂を上がるとタヌキが出て来た。ノロノロと愛嬌がある。今夜は絵本の世界に迷い込んだような道中だった。

舞妓さん

深山奥山だより 12月8日マイナス4度 松田氏は毎回京都での舞妓さんの撮影会に通い続けていると言われた。来年位にその作品展をと考えておられるようだ。松田氏のこだわりの作品が又来年見られるのが楽しみ〓 写真でありながら版画絵を見ているような感じがする。

2013年12月11日水曜日

松田久写真展

深山奥山だより 12月7日マイナス3度 松田久氏の写真の入れ替えが終わった。年末年始に向けて華やかな赤の色が印象的な舞妓さんの写真と七五三の写真〓赤の色は心華やぐ色だとあらためて感じた〓もういくつ寝るとお正月〓懐かしい情景がふと頭をよぎった。

2013年12月10日火曜日

地域にとけこむ大学

深山奥山だより 12月6日マイナス1度 今日は荘川支所会議室にて岐阜大学公民館大学からの感謝状贈呈式が行われた。わざわざ岐阜大学から先生方にお越し頂き、大変恐縮し申し訳ない事と思いながら、心より感謝申し上げ謹んで授与させていただいた。学生さん達の真摯で明るいお姿に励まされて、荘川の事を共に学ばせて頂きこちらこそ感謝感謝の気持ちでいっぱい〓頭の下がる思いで毎回感銘を深くした。これからの若い世代の方々が労苦をものともせず、一生懸命地域のあらゆる事に取り組む姿には感動した。温故知新〓これからも共に手間暇かけた先人の心と知恵に学ばせていただきたいと思う。このほど文部科学省〓地〓知の拠点整備事業の支援のもと更に推進される運びとなった。岐阜大学が先駆けて9年前から行ってきた事業がここにきて国の支援が受けられる事は本当に素晴らしいと感激した。ご縁を頂けた事に感謝致します。

2013年12月8日日曜日

岐阜大学公民館大学

深山奥山だより 12月5日マイナス5度 寺河戸公民館に毎年夏休みを利用して岐阜大学応用生物科学部の学生さん達が20名位合宿に見える。全国の大学の中でも初の試みで、平成16年から始まった。大学生が地域に入り込んで、歴史や文化や食、そして問題点など地域活性化のために地域住民と共に学び取り組む。今年で9年目になった。ある時は地元の小中学生と共に、荘川の金山の歴史を辿り、砂金採りに夢中になったり、伝統食を作って食べたり楽しい企画にあっと言う間に9年間が過ぎた。男性三人の講師の方々に混じって主に食の方の世話人として学ばせていただいた。旧荘川村の伝統食を地域のおばあちゃん達に教えていただきながら地元の子供達も一緒になって楽しく作って食べた。ふだん家庭で食べているおふくろの味がこんなに貴重な伝統食だったなんて知らなかった〓今度は私たちが家族に作ってあげようと思った。などの嬉しい言葉も聞けて感動した。貴重な公民館大学にご縁を頂き心から感謝申し上げます。

新牧戸城址見張り台〓

深山奥山だより 12月4日マイナス4度 牧戸地区と牛丸地区の境の山に新牧戸城址が見つかった。その近くに見張り台らしき山があると、以前から言われていた。ちょうど中井理容店の真向かいの良く見渡せる小山があり、その辺りと聞いていた。朝中井さんのご主人に聞くと、昔はこの山は川までせり出していて、川沿いから山手に上がる道があった〓と言う。馬車一台ようやく通れるような道だったと。川を挟んで向牧戸城と新牧戸城の見張り台が、睨みをきかせていた事になる。今の国道は山を削ってできあがっている。実家から百メートル程の所なのに何も知らなかった。感慨深く中井理容店向かいの小山を眺める。

寺河戸地区御番所橋から

深山奥山だより 12月3日マイナス4度 下総国の住人千葉小次郎成正は、源頼朝に縁りのある者であったが、世を遁れて北陸路をさまよい、越前穴馬から尾上郷を越えて海上村に足を留め、妻をめとりここに土着しこの地の草分けとなったという。成正は嘉念坊善俊の弟子となって名を浄正と改め、この地に道場を開いて土地の人々を教化する傍、養蚕の技を教えて生業を助けた。浄正の道場を聖殿しょうでんと呼んでダム水没前まではその遺跡が残っていた。源氏縁りの名残は他にも伝えられている。

2013年12月3日火曜日

ムサシくんはテレビがお好き〓

深山奥山だより 12月2日マイナス1度 ムサシくんは面白い猫だ〓テレビの画面に熊の親子が出た。突然起き上がり、目を鈴のようにして身を乗り出して見ている。金縛りにあったように身動きもしない〓画面が変わったとたんドタッと寝っころがって手をペロペロ〓頭を手でスリスリさっきのあの殺気はどこにいったのか〓まったく面白い猫くんだ。でっかい図体の割には優しいちっちゃい声でニャッと短く鳴く。見ていて飽きない〓お客さんと遊ぶ商い猫くんだ。

鎌倉道を下るとさわらの木が

深山奥山だより 12月1日マイナス4度 師走 昔の白川郷は荘川村を上白川郷、白川村を下白川郷と言って、二つの村を合わせて白川郷と呼んでいた。白川村には平家の落人伝説 、旧荘川村には源氏縁りの言い伝えをあちこちに残して、現代の私たちに語りかけてくる。そんな歴史ロマンの里はミステリーな魅力がいっぱい〓

2013年12月1日日曜日

牧ヶ野道場屋敷跡

深山奥山だより 11月30日マイナス8度 さらに冷え込みが厳しい朝、一色スキー場に向かって車を走らせる。橋詰橋手前の左手に牧ヶ野道場屋敷跡がある。永治元年1141年平安末期源為義の家臣大宅七郎光俊おおやしちろうみつとしが飛騨の目代として高山市鍋山城に着任したが、故あって白川郷牧ヶ野に蟄居を命ぜられた。その徒弟橋詰与八郎光堯が随従して移り住み、橋詰川の畔に屋敷を構え代々農作をいとなんでいた。その後文安四年1447年に江州佐々木の一族多賀氏の家臣に故石久之丞なるものが、源氏に縁りのある与八郎の子孫を白川郷牧ヶ野村にたずねてここに住み着いた。その子唯乗は長じて連如の弟子となって牧ヶ野に道場を開いた。第四世友定の時天文十六年1547年同二十三年両度の白山大噴火のため白川郷一帯に大降灰があり、甚だしい凶作に見舞われた。殊に牧ヶ野は荒廃甚だしく復興の見込みがたたず、友定坊は村人を説いて濃州粟野の里へ移住して農耕に従い、数年の後故郷がようやく生色を取り戻したので、永禄九年1566
年帰郷し、河戸の奥地を切り開いて牧ヶ野の寺をここに移した。寺河戸の村名はこの時から始まったという。その後貞享三年1686年第六世雄丈の時寺号遊浄寺を許され今日に至っている。お寺の牧ヶ野さんの名字が、牧ヶ野村に由来していた事を一色地区に住んで始めて知った。歴史は足下に宝となって息づいている。