2013年2月28日木曜日
2013年2月27日水曜日
2013年2月26日火曜日
一色奥の橋詰橋から眺める
深山奥山だより 2月26日マイナス14度 朝早く一色奥の橋詰橋へ行く。7時半冷気を破って朝日が昇る〓綿帽子が光り、吐く息が白く凍る。一色奥に昔は牧ヶ野まきがの、山田さんでん、赤崩れという三箇村があった。平安末期源為義の家臣大宅七郎光俊が故あって牧ヶ野村に蟄居ちっきょを命ぜられた。その徒弟与八郎光堯が随従して移り住み、橋詰川の畔に屋敷を構え代々農作を営んでいた。その後故石久之丞なる人が、源氏に縁りのある与八郎の子孫を頼ってここに住みついた。その子唯乗は蓮如の弟子となって牧ヶ野に道場を開いた。現在は別荘地になっている。
2013年2月25日月曜日
四本杭の伝説
深山奥山だより 2月25日マイナス13度 昔荘川村野々俣と郡上郡高鷲村鷲見との間は、鷲見ヶ上野と言ってどこが境かわからないくらいに広々とした高原でしばしば境界争いが繰り返された。この村境を決めるのに、一番鶏が鳴いた時に、それぞれの村の真ん中から歩き始めて、出会ったところを境にすると定めた。鷲見村には知恵の優れた人がいて、節をくり抜いた竹に鶏をとまらせ、まだ夜中のうちに、熱い湯を注ぎ込んだ。足うらの温かくなった鶏は夜明けと間違えて〓トテッコッコー〓と鳴いた。村の人はそれっとばかりに鷲見ヶ上野を野々俣に向かって急いだ。一方野々俣の人達は、いつもの通り一番鶏の声を聞いてから、出発した。峠を登りつめた頃は、もう鷲見村の人は近くまで来ていたので驚いたが、約束通り出会い場所に、四本の杭を打ち込んだ。それ以後の村境になったということである。のどかな伝説に感心する〓
2013年2月24日日曜日
2013年2月23日土曜日
峠
深山奥山だより 2月23日積雪20センチ夜半に降った雪が朝には止んで陽が射してきた。清見町上小鳥かみおどりから六厩へ越す松ノ木峠と、六厩から軽岡を越えて三尾河へおりる軽岡峠は、人家のとぎれた峠道で、白川街道の難所とされていた。冬は2、3メートルの積雪で難儀し、夏は虻の群襲に悩まされた。斐太後風土記には、軽岡と松ノ木の虻は三種いて、大きいのはひぐらし蝉ぐらいで好んで牛馬の血を吸うのでウシアブといい、中ぐらいのは蜂ほどで小さいのが蝿くらい、いずれも日中群がり襲って人馬を刺すという。それで日中を避けて夜か明け方に通った。また地獄谷や火山ひやまには野生猿と羚羊かもしかが多く棲んでいたという。荘川から郡上を経て美濃や越前方面へ越すには、古くは一色の奥栂峠を越え、近世のはじめころからは寺河戸奥の山中峠を越えて郡上みぞれに出た。一色の北大洞峠は鷲見街道として往来がさかんだった。他に尾上郷峠、町屋峠、麦島峠など大小の峠を越えねばならなかった。いよいよ村へ近づき軽岡の峠のつじに立っ
て、はるか白山の麓にひらけるふるさとの山河を見ては、どんなにか、旅の疲れを忘れたことだろう。又ふるさとを離れ旅に出る者は、おらが荘川出てゆくときにゃ三度見返す牧戸橋と荘川民謡にも唄われているとおりだ。荘川村史より〓
て、はるか白山の麓にひらけるふるさとの山河を見ては、どんなにか、旅の疲れを忘れたことだろう。又ふるさとを離れ旅に出る者は、おらが荘川出てゆくときにゃ三度見返す牧戸橋と荘川民謡にも唄われているとおりだ。荘川村史より〓
白川街道
心ぼそいよ白川街道川のなる瀬と鹿の声〓白川街道は清見町牧ヶ洞から小鳥おどり峠、松ノ木峠を越えて荘川町六厩に至り、六厩川に沿って下り赤谷の落部今は御母衣ダム水没〓へ出て、そこから庄川に沿って下り御母衣、平瀬、鳩ヶ谷へ通じていた。六厩川の下流地獄谷や庄川の深い渓流あたりに群棲していた、かもしかの鳴き声を聞いて旅したのだろう〓とある。昔、木地屋がたてたという地蔵堂が落部峠にあったが、その後転々と移動し、いまは、女滝の上流の近くに祀られ、昔の白川街道の名残をとどめている。最近赤谷の山に大きな城跡が見つかった。御母衣ダム対岸を途中まで車で入りその後はひたすら歩いて2時間〓尾上郷入り口対岸あたりの山にあった。これからの解明が待たれる。衝撃の城跡だった〓昔白川街道を行き来した人達はこの城を知っていただろう〓何故歴史から消えているのか太古のロマンを秘めて御母衣ダムの底に封印されている〓城跡が発見された事はそろそろ解き放たれる時がきている印しかも知れない。
2013年2月21日木曜日
冬の大三角形子猫座〓
深山奥山だより 2月21日マイナス10度 夕方白山がよく見える時は明くる朝冷え込みが厳しい。そんな夜は星空も澄んで美しい〓南の空に明るい3つの一等星が目につく。おおいぬ座のシリウス、こいぬ座のプロキオン、オリオン座の赤い星ペテルギウス。冬の星空に輝く大三角形〓しばし寒さを忘れて見上げる。こいぬ座ならぬ子猫の二代目ムサシ君が足元そばのダンボール箱をねぐらにして丸まって眠っている。一日中ダンボールから離れない。子猫座のダンボール〓
2013年2月20日水曜日
ダイヤモンドダストと冬のダイヤモンド
深山奥山だより 2月20日マイナス18度 ダイヤモンドダストが今朝も輝いていた事だろう〓誰も知らないところで美しい自然の営みがさりげなく今日も紡ぎ出されている。明かりの少ない荘川の夜は星の煌めきもひときわだ。冬のダイヤモンドが南の空に輝いている〓天頂にカペラ、右下木星近くにアルデバラン、鼓星オリオン座右下のリゲル、その左側にシリウス、こいぬ座のプロキオン、ふたご座のポルックス 六つの星を繋ぐと六角形の冬のダイヤモンドが現れる。夜の白川郷に浮かび上がった合掌造りの障子の明かりを思い出した〓美しいものがあたりにあふれている〓
2013年2月19日火曜日
2013年2月18日月曜日
アー飲めよ大黒騒げよ恵比寿
さわぎは曲の変わったテンポと唄が面白い〓 飲めよ大黒騒げよ恵比寿中で酌する福の神。紅葉狩るなら軽岡の峠つつじ見るなら嘉念坊。蝶や花よとほめほやされて唄わなんだよ今迄は。うまい事を言うてわし騙かしてその手は桑名の殿様よ。酒は酒屋で飲んではきたが歌は道々歌ってきた。夕べ夜這い人が二階から落ちて猫の真似してニャゴニャゴと。浅い川なら膝までめくる深くなるほどおこしまで。鳴いて聞かせよ山ほととぎす姿見さらにゃ声なりと。唄に託された庶民の心は〓当時の様子はわからないけれど、いつの時代も歌は世の中を反映している〓唄でしか言えない事もあったかも知れない。
2013年2月17日日曜日
おけさヨーおけさ踊るなら
深山奥山だより 2月17日マイナス18度 荘川おけさの内容が素敵〓 おけさ踊るなら板の間で踊れ板のひびきで三味アいらぬ。老いも若きも唄えや踊れこよい一夜は夢のうち。おけさ正直なら抱いても寝るがおけさ猫の性で爪たてた。咲いた桜に誰や駒つなぐ駒が勇めば花が散る。おけさ見てきてうちのかかあ見れば三里奥山の獅子のそめ。鳴くな鶏まだ夜は夜中明けりゃお寺の鐘がなる〓おけさという旅する美しい女性が板の間で踊る〓おけさを見てからうちのかあちゃんを見れば、奥山に住む獅子に化粧したようなもの〓まるで落語の世界のよう。最後に、鳴かないで鶏よ夜明けはまだ〓と切ない唄になっている。逞しく生きる庶民の大きな笑いが感じられてとても素敵な唄だと誇りに思う。
2013年2月16日土曜日
荘川おけさ
深山奥山だより 2月16日マイナス9度 民謡荘川おけさと荘川さわぎは、昔は各部落でさかんに歌われたけれど、戦争で中断したまま、戦後の混乱で全くすたれてしまった。近年荘川民謡保存会が、今では数少ない古老たちの記憶をたどって復活した。昭和46年4月21日当時郡上郡八幡町で行われた民謡大会に、荘川民謡保存会長半野田次郎氏がこの両民謡を披露し、大好評を博した。おけさは越後の柏崎、また佐渡の相川から流行しはじめた民謡で佐渡おけさ流と出雲崎おけさ流がある。飛騨へ伝来したのは佐渡おけさ〓と説明されている。おけさもさわぎも曲といい、内容といいとても印象深いもので大好きな荘川民謡だ〓
2013年2月15日金曜日
三日月が綺麗
深山奥山だより 2月15日小雪 今夜は三日月がとても綺麗という〓雪も大した事なく道路も乾いて走りやすくてありがたい。夜になって雲が切れ濃紺の空に三日月がかかった。三日月を見つめながら車に乗って白川村に向かった。ちらほらしていた雪が帰りには猛吹雪になって前が見えない程だ。ダムの底から吹き上げる雪がまるで下から吹雪いて降ってくるように見える〓雪崩でもきそうな山肌に思わず背筋が寒くなる〓2日程前には実際に雪崩の恐れで通行止めになっていたが、今日は通れたので大丈夫だろうと思った。山の天気は急変する。荘川桜辺りまで来ると、雪風共におさまって一安心〓白山おろしなのか、ダム湖は風が巻くように吹いていた。我が家に戻ると外のダンボールの中にあのムサシ君そっくりのトラ猫ちゃんが、丸まってニャーンと鳴いた。
2013年2月14日木曜日
聖バレインタインデー
深山奥山だより 2月14日マイナス13度 今日はバレンタインデー〓 聖バレンタインデーは、270年頃アイルランドのカトリック教徒バレンタインがローマ皇帝の迫害を受け殉教した2月14日を記念したもので、中世以降世界中に広まったとある。何も知らず喜んでいただいているチョコレートだが実は大変な迫害の中殉教された人の記念の日だったとは〓甘い味がほろ苦い味になった。殉教の精神を少しでも考える日にして先人たちに感謝したい。
2013年2月13日水曜日
在りし日のムサシ君
深山奥山だより 2月13日積雪30センチ静かな夜だと思ったら朝起きてびっくり〓30センチは積もっている。比較的軽い雪で雪かきもはかどり助かった。物陰からニャーン高い鳴き声がする。8年位前に亡くなったムサシ君にそっくり〓事故にあい足を引きずって歩くところ、茶色のトラ柄、顔つき、高い鳴き声までそっくり〓生まれ代わりかと思った。ひとまわり小さくて、まだあどけなさが残っているけれど。こんな寒さにも負けないでどこをねぐらにしているの〓朝日が射して日当たりがいい南側に半日ゴロゴロと寝転んでニャーニャー鳴く。縁とは不思議なものだ〓
2013年2月12日火曜日
馬と轡くつわ
深山奥山だより 2月12日 菜の花忌 六厩の小瀬松一郎さんの先代は、馬が好きで、なかなか良い馬を飼っていた。ある日、山仕事をおえて山から馬をひいて帰る途中、一匹の山犬に出会った。その山犬はクラシシかもしかを捕って食べ、のどにその骨がささり、苦しんでいたので、可哀想に思いのどに手を入れてその骨をとってやった。山犬は苦しいところを助けてもらって、喜んで奥山へ姿を消した。4、5日たった朝、縁側に立派な馬の轡がおいてあった。誰も知らないという。これはあの山犬がお礼に来てくれたに違いない。畜生でも恩を知っているとは感心な事と言って、この轡を家宝として代々承け伝えてきたという。同家には今もその轡が保存されている。昔からの言い伝えは、30頭の獅子も聞きおよんでいることだろう〓
2013年2月11日月曜日
厩のサルコウベ〓
深山奥山だより 2月11日小雪 荘川町に本州で一番寒い六厩地区がある。旧家の小瀬松一郎さんの厩の梁にサルコウベ猿の頭蓋骨が祀ってあるという。厩に対する魔除けの慣習であるらしい。馬れき神は馬の守護神で、猿とせきれいを部下に従えて、弓矢を持って外敵から馬を守ってくれる。清見町小鳥と荘川町六厩の境の松ノ木峠は、虻あぶの群がるところで夏ここを通る人馬がずいぶん難儀したという。せきれいはこの地方に多く見かける小鳥で、その好んで食べる虫が虻である。せきれいを捕ると〓親死ね小死ね鍋釜割れてしまえ〓ということわざがあるほどだ。猿は馬にたかるしらみをとり、せきれいは馬にたかる虻をとる。馬を病気からまもるために、厩にサルコウベをかかげることが始まったという。昔猿が集まるところ〓猿丸地区には現在荘川インターが出来て、道の駅には沢山の人達が集まるようになった。そこに今30頭の猿ならぬ獅子頭がお目見えしている。
2013年2月10日日曜日
2013年2月9日土曜日
花まゆ展酒井登巳子氏
深山奥山だより 2月9日 初午 飛騨地方では、初午を月おくれの3月におこなう。稲荷まつりともいう。特にこの地方では養蚕繁昌の祈願がさかんだった。家家では御神酒、赤飯、だんごを供えてまつりをおこなう。初午だんごは米の粉で繭の形につくる。味噌やたまりをつけると、蚕がビショ繭をつくるといって嫌った。繭は上等のものをコマイといい、ほかのオオマイ、ナカマイ、ビショマイと選び分ける。オオマイは糸にならないので、真綿をつくり、ナカマイは自家用生糸に、ビショマイは紬を織るのに用いた。いい繭はかたくしっかりしているが、ビショマイはくずれかかったやわらかい繭のことだ。春駒の唄に、〓シクに上りてつくりしまゆは、鴨の川原か桂の川の、瀬に澄む石にもよく似たるまゆ〓とあるようにそのような繭が上等だった。
繭雛さま
深山奥山だより 2月8日 小雪 繭雛さまも飾った。飛騨一の宮のまゆびな第一人者の方が作ってくださった心あたたまるお雛様〓養蚕がいつの頃から白川郷にはじまったか明らかではないが、鎌倉時代の中頃、源氏に縁りのある千葉小次郎成正という人が、東国から流れて来た。越前国から白川郷へ入り、御母衣ダム沿い荘川桜を過ぎた尾上郷入り口近くに海上という地域がある。 ここに住みついて、このあたりのお百姓さん達にはじめて蚕飼いの業を教えたという。白川郷の民家が切り妻や寄せ棟の合掌造りになっているのは、養蚕に関係があるといわれている。柱のない広い二階以上を蚕室にしてどの家でもさかんに蚕を飼った。白山山麓にひらけた白川郷は、桑の生育に適していて、庄川に沿って下流地方ほど桑の育ちがよかった。戦前までは、今はダムの湖底にある中野、海上部落を中心に、蚕飼いまつりがさかんに行われた。毎年正月若衆組が仮装して〓春駒〓を唄いながら、各家家をまわって蚕飼い豊年を祝った。御神酒、赤飯の他に繭型の団子を
備えまつりの後で団子撒きがおこなわれた。
備えまつりの後で団子撒きがおこなわれた。
2013年2月7日木曜日
2013年2月6日水曜日
ハルキ曳き
深山奥山だより 2月6日 雪 ハルキ曳き〓昨年の春伐ってハルキダナに積んでおいた薪をいっせいに山から曳きおろすのは、一月下旬から二月初旬である。寒橇はハヤルといって、雪を利用して橇で曳いて家の近くまで運び、太いものは割って薪につくる。昔はどこまでも労働力が必要だったと敬服する。留守を守る女性達も大変な気苦労だ〓ひ弱な心根では勤まらない。たくましさが自ずと必要となる〓厳しい自然の中で人は鍛えられ、育くまれ今に伝わっている〓私たちはその財産を受け継いでたくましく荘川びととしての誇りを持って次世代に繋げていきたい〓ドレミファソラシド〓
2013年2月5日火曜日
山田焼き土雛様
深山奥山だより 2月5日 晴れ 昨日土雛様を飾った。暖かい手触り、素朴さ、落とせば割れる危うさは、ずしりとした重みに反してはかなさが伝わってくる。大好きなお雛様〓主人の祖母が高山から売りにみえた行商人から買い求めたものだという。同じお雛様が荘川地域で見られるのはそのためか。金森長近時代に瀬戸焼きの職人を招き入れ、山田地域で伝統の技を伝え、山田焼きが生まれたと聞く。古物商の方が最近はなかなか山田焼きの品が出て来ないと話してみえた。貴重なお雛様を今年も愛でる〓飛騨地方はひと月遅れの4月3日まで飾る。早く飾ってながーく愛して〓
2013年2月4日月曜日
2013年2月3日日曜日
鬼は外、福は外。鬼は内、福は内
歴史に詳しい知人の話しでは、鬼は外福は外。鬼は内福は内。だった〓皇居の外も鬼の浄化、福も外にあれ〓外とは国民の事。皇居の内にも鬼に顕された浄化、福が内にも来るように。明治から変化して鬼は外福は内になり、鬼が忌み嫌われるようになった。鬼も共に福は内〓というところもあるそうだ。鬼は浄化されて諸天善神となる〓
節分虫封じ
深山奥山だより 2月3日 快晴 節分は、古くは中国に始まり、日本へは文武天皇の頃伝わったという。宮中で大晦日の夜、悪鬼をはらい疫病を除くというので、鬼に扮した舎人を内裏の四つの門をめぐって、追い回す追なが行われた。江戸時代に入ってからは、大豆を炒って鬼打豆と称し、〓福は内、鬼は外〓と呼びながら撒くことが行われるようになった。天台宗徒であったころの白川郷の村村では、節分行事がさかんであったらしい。 虫封じは、節分の夜大豆を炒る時、稲の害虫の名をいちいち呼び上げ何々の口を焼いた〓と唱えて、焚き火のおきをはさんで大豆の中へ投げ入れ、その年の害虫封じが出来たと考えた。
2013年2月2日土曜日
鼓星オリオン座
深山奥山だより 2月2日 雨 星空案内より〓 宵の南の空を見上げると、星座神話では蠍座サソリに刺されて死んでしまう猟師のオリオン座が見える。日本では鼓つづみの形に見立てて鼓星と呼んだ。〓鼓の左上に赤いペテルギウス〓真ん中の三星〓右下にリゲル〓 本当に大好きな鼓の形だ〓ペテルギウスは赤っぽく見える。これは表面温度が太陽の半分の3000度くらいしかないためで、大きさは逆に500倍以上もある赤色巨星とある。オリオン座の右上にはおうし座のアルデバランや木星が輝いている。朝に夜に空を見上げて宇宙の不思議さと美しさにいつも言葉を失う。夕方に雨がやんで星空が雲の合間から見えてきた。
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