2013年12月28日土曜日
2013年12月26日木曜日
農村にこそカントリーライブ
深山奥山だより 12月23日マイナス5度 式部の庵に楽器がどんどん増えていく。いつになったらカントリーライブができるのか。準備は着々と進んでいるけれど演奏者が今のところ約一名〓はーやーくーこいこいカントリーライブの日〓
2013年12月24日火曜日
2013年12月21日土曜日
2013年12月19日木曜日
2013年12月17日火曜日
クリスマスも間近
深山奥山だより 12月17日マイナス3度 雪も今日は止んで曇り空の小康状態。どの家も屋根の雪下ろしが始まる。最近は屋根の上で雪を溶かす方法、屋根から雪が滑り落ちるようなシートを張ったり、屋根を張り替えたり、様々な雪害対策が進んでいる。 昔ながらに屋根に上がって雪下ろしする家もまだ多い。エントツからサンタクロースが入って来てプレゼント〓そんな幼い頃の夢は壊さないでずっと伝えてほしい。朝枕元をそっと探るのが楽しみだったあの頃を思いだしせつなくなった。父が岐阜市内へ仕入れに出かけて行き、その帰りに素敵なプレゼントを買ってきてくださった事はずっと後から知った。今は亡き父にあらためて感謝する。
おつうちゃんも修行の身
深山奥山だより 12月15日マイナス5度 冬はさすがに寒くておつうちゃんも外出を控えている。仏間でお数珠を見ると興味を示す。好き嫌いがはっきりしていて、気に入らないと無関心。本当に自在な境涯だ。お数珠を見ると目の色が輝いてくる。おつうちゃんも修行の身か〓
2013年12月15日日曜日
舞妓さん
深山奥山だより 12月9日マイナス4度 夜久しぶりに白川郷まで行った。途中荘川桜を通り過ると道端に何かの気配〓なんと大きな日本鹿の雄〓今まで見た事のない立派な角をもたげて、闇の中にスックと浮かび上がった。ライトに照らし出されてこちらの方に飛び出して来ないかと驚いた。急ブレーキをかけるわけにはいかないので、冷や汗が出た。じっとこちらを見ながら佇んでいた。胸をなで下ろしゆっくりしばらく走ると、今度は小さなテンかイタチのような細長い小動物が目の前を横切って行った。スピードを出していたらと又冷や汗〓帰りに白川郷を後にしてダム沿いに上り坂を上がるとタヌキが出て来た。ノロノロと愛嬌がある。今夜は絵本の世界に迷い込んだような道中だった。
2013年12月11日水曜日
2013年12月10日火曜日
地域にとけこむ大学
深山奥山だより 12月6日マイナス1度 今日は荘川支所会議室にて岐阜大学公民館大学からの感謝状贈呈式が行われた。わざわざ岐阜大学から先生方にお越し頂き、大変恐縮し申し訳ない事と思いながら、心より感謝申し上げ謹んで授与させていただいた。学生さん達の真摯で明るいお姿に励まされて、荘川の事を共に学ばせて頂きこちらこそ感謝感謝の気持ちでいっぱい〓頭の下がる思いで毎回感銘を深くした。これからの若い世代の方々が労苦をものともせず、一生懸命地域のあらゆる事に取り組む姿には感動した。温故知新〓これからも共に手間暇かけた先人の心と知恵に学ばせていただきたいと思う。このほど文部科学省〓地〓知の拠点整備事業の支援のもと更に推進される運びとなった。岐阜大学が先駆けて9年前から行ってきた事業がここにきて国の支援が受けられる事は本当に素晴らしいと感激した。ご縁を頂けた事に感謝致します。
2013年12月8日日曜日
岐阜大学公民館大学
深山奥山だより 12月5日マイナス5度 寺河戸公民館に毎年夏休みを利用して岐阜大学応用生物科学部の学生さん達が20名位合宿に見える。全国の大学の中でも初の試みで、平成16年から始まった。大学生が地域に入り込んで、歴史や文化や食、そして問題点など地域活性化のために地域住民と共に学び取り組む。今年で9年目になった。ある時は地元の小中学生と共に、荘川の金山の歴史を辿り、砂金採りに夢中になったり、伝統食を作って食べたり楽しい企画にあっと言う間に9年間が過ぎた。男性三人の講師の方々に混じって主に食の方の世話人として学ばせていただいた。旧荘川村の伝統食を地域のおばあちゃん達に教えていただきながら地元の子供達も一緒になって楽しく作って食べた。ふだん家庭で食べているおふくろの味がこんなに貴重な伝統食だったなんて知らなかった〓今度は私たちが家族に作ってあげようと思った。などの嬉しい言葉も聞けて感動した。貴重な公民館大学にご縁を頂き心から感謝申し上げます。
新牧戸城址見張り台〓
深山奥山だより 12月4日マイナス4度 牧戸地区と牛丸地区の境の山に新牧戸城址が見つかった。その近くに見張り台らしき山があると、以前から言われていた。ちょうど中井理容店の真向かいの良く見渡せる小山があり、その辺りと聞いていた。朝中井さんのご主人に聞くと、昔はこの山は川までせり出していて、川沿いから山手に上がる道があった〓と言う。馬車一台ようやく通れるような道だったと。川を挟んで向牧戸城と新牧戸城の見張り台が、睨みをきかせていた事になる。今の国道は山を削ってできあがっている。実家から百メートル程の所なのに何も知らなかった。感慨深く中井理容店向かいの小山を眺める。
寺河戸地区御番所橋から
深山奥山だより 12月3日マイナス4度 下総国の住人千葉小次郎成正は、源頼朝に縁りのある者であったが、世を遁れて北陸路をさまよい、越前穴馬から尾上郷を越えて海上村に足を留め、妻をめとりここに土着しこの地の草分けとなったという。成正は嘉念坊善俊の弟子となって名を浄正と改め、この地に道場を開いて土地の人々を教化する傍、養蚕の技を教えて生業を助けた。浄正の道場を聖殿しょうでんと呼んでダム水没前まではその遺跡が残っていた。源氏縁りの名残は他にも伝えられている。
2013年12月3日火曜日
ムサシくんはテレビがお好き〓
深山奥山だより 12月2日マイナス1度 ムサシくんは面白い猫だ〓テレビの画面に熊の親子が出た。突然起き上がり、目を鈴のようにして身を乗り出して見ている。金縛りにあったように身動きもしない〓画面が変わったとたんドタッと寝っころがって手をペロペロ〓頭を手でスリスリさっきのあの殺気はどこにいったのか〓まったく面白い猫くんだ。でっかい図体の割には優しいちっちゃい声でニャッと短く鳴く。見ていて飽きない〓お客さんと遊ぶ商い猫くんだ。
鎌倉道を下るとさわらの木が
深山奥山だより 12月1日マイナス4度 師走 昔の白川郷は荘川村を上白川郷、白川村を下白川郷と言って、二つの村を合わせて白川郷と呼んでいた。白川村には平家の落人伝説 、旧荘川村には源氏縁りの言い伝えをあちこちに残して、現代の私たちに語りかけてくる。そんな歴史ロマンの里はミステリーな魅力がいっぱい〓
2013年12月1日日曜日
牧ヶ野道場屋敷跡
深山奥山だより 11月30日マイナス8度 さらに冷え込みが厳しい朝、一色スキー場に向かって車を走らせる。橋詰橋手前の左手に牧ヶ野道場屋敷跡がある。永治元年1141年平安末期源為義の家臣大宅七郎光俊おおやしちろうみつとしが飛騨の目代として高山市鍋山城に着任したが、故あって白川郷牧ヶ野に蟄居を命ぜられた。その徒弟橋詰与八郎光堯が随従して移り住み、橋詰川の畔に屋敷を構え代々農作をいとなんでいた。その後文安四年1447年に江州佐々木の一族多賀氏の家臣に故石久之丞なるものが、源氏に縁りのある与八郎の子孫を白川郷牧ヶ野村にたずねてここに住み着いた。その子唯乗は長じて連如の弟子となって牧ヶ野に道場を開いた。第四世友定の時天文十六年1547年同二十三年両度の白山大噴火のため白川郷一帯に大降灰があり、甚だしい凶作に見舞われた。殊に牧ヶ野は荒廃甚だしく復興の見込みがたたず、友定坊は村人を説いて濃州粟野の里へ移住して農耕に従い、数年の後故郷がようやく生色を取り戻したので、永禄九年1566
年帰郷し、河戸の奥地を切り開いて牧ヶ野の寺をここに移した。寺河戸の村名はこの時から始まったという。その後貞享三年1686年第六世雄丈の時寺号遊浄寺を許され今日に至っている。お寺の牧ヶ野さんの名字が、牧ヶ野村に由来していた事を一色地区に住んで始めて知った。歴史は足下に宝となって息づいている。
年帰郷し、河戸の奥地を切り開いて牧ヶ野の寺をここに移した。寺河戸の村名はこの時から始まったという。その後貞享三年1686年第六世雄丈の時寺号遊浄寺を許され今日に至っている。お寺の牧ヶ野さんの名字が、牧ヶ野村に由来していた事を一色地区に住んで始めて知った。歴史は足下に宝となって息づいている。
2013年11月30日土曜日
ここは源氏に縁りの里
深山奥山だより 11月29日マイナス7度 一番の冷え〓一日雪が舞う。荘川村史より〓草分け百姓を隠田百姓などとも呼ぶが、これは戦国の世において落武者が従者とともに山中の谷あいに分け入って、そこで伐り開いた所謂隠田に由来する。白川郷はむかし平家の落武者が住み着いて開いたと伝えられているが、そういう人々もあったとしても、むしろ源氏や公家などに縁りのある都の落人が多かったのではないかと思われる。例えば牧ヶ野村〓現在の一色地区内の故石久之丞唯乗ふるいしきゅうのじょうただのり、橋詰与八郎光堯はしずめよはちろうみつたか、海上村の千葉小次郎成正ちばこじろうなりまさ、一色村の三島太郎左衛門正厳みしまたろざえもんまさなり、牧戸村の川尻勘平かわじりかんべいなどいずれも源氏に縁りある人々であった〓とある。一色スキー場手前の橋詰川畔にも源氏縁りの落武者が移り住んでいた。
2013年11月29日金曜日
2013年11月26日火曜日
牧戸地区の山々にダムからの霧
深山奥山だより 11月27日0度 御母衣ダムからの霧で牧戸より白川郷方面は霧がよく立ちこめる。霜があまり来ないのはそのためだと言う。霧が流れ込んでいる辺り牛丸地区境の山に、向牧戸城がある。川を挟んだ真向かいの山にも、昨年新牧戸城址が見つかった。霧がよく立ちこめる辺りだ。テラホラと呼ばれている場所でもある。城の研究者の方の話では、古い寺を利用して城を築いたようだ。今で言うリフォーム〓その山は個人の持ち山で杉の木が植林してある。手入れが行き届いているので全国でも珍しく原型を留めていてそこに住みたい位だ〓と絶賛された。天台宗の寺があったようだと言う古老の言い伝えの話を裏付ける事になった。子供の頃お弁当を作ってもらい、よく遊びに行った山の頂上に城跡があったなんて誰も思わない。植林をした山の持ち主の今は亡き寺田さんだけが、何かがこの山にはあったと〓気づいていたかも知れない。現在は牧戸城址を守る会の勇士の方々が一生懸命に保存活動をしておられる。
一里杭
深山奥山だより 11月26日0度 一里塚は慶長見聞録によると、江戸の日本橋を起点として、三十六町を一里につもって各街道に築造させたもので、慶長九年1604年にはじめて設置された。五間四方を区切って道の両側に造り、そこには榎を植えた。飛騨では長谷川忠崇代官が四方の街道に里程を記した石柱を路傍に建てた。これを一里杭と呼んだ。荘川内三尾河地区から寺河戸御番所へ行く途中に一里杭の跡があり、今そこにさわらの大樹が残っていてその根本に地蔵尊が祀られている。銘に宝歴暦二年九月願主三十郎とあり、この地蔵尊はもとダナ山のジョウネンジ畑にあったものと伝えられている。村史より〓一里杭は荘川ではここだけのようだ。様々な人生を往来する人々の姿を見守ってきたさわらの大樹に感謝〓
2013年11月25日月曜日
ジョウド渕は国道沿いからすぐ下
深山奥山だより 11月25日マイナス0度 ジョウド渕は荘川インターから白川郷に向かう国道沿いの新渕地区の入り口左側の坂道を川の方へ下りた所からよく見える。釣り人が車を停めて川に下りて行く釣り場でもある。深緑の水の色が名前を現している。河童が棲みついている話もなるほどと思う。
2013年11月24日日曜日
ジョウド渕
深山奥山だより 11月25日マイナス3度 長滝寺は天長五年828年平安初期に法相宗から天台宗に改められ、後一条天皇の治安元年1021年平安中期に天台別院の名を賜っている。以来寺運は隆昌に向かい、荘白川地方の住民は天台宗徒となっている。町屋地区のジョウド渕に臨む崖上の六地蔵は、かってこの地にあった天台寺院の境内にあったものであろう。地蔵菩薩は十王経にある閻魔王の本地仏で、十王堂の本尊でもあった。ジョウド渕は十王堂渕で後世浄土渕に書き換えられたものであろう。本村寺河戸の遊浄寺付近に、ミドノマエという地名がある。古老の伝えでは、ここに昔長滝寺の支院があったという。牧戸の寺洞にもまた寺屋敷らしい跡があって、天台寺院の寺跡ではないかと土地の人々は言っている。白川郷ことに荘川は白山信仰を中心とする北陸文化が北濃を経て古くから入ってきており、その影響を受けることが少なくなかった。〓荘川村史より ジョウド渕近く崖上の町屋地区には延享年間六地蔵がひっそり立っている。
2013年11月23日土曜日
2013年11月22日金曜日
御母衣ダムは宝の宝庫
深山奥山だより 11月19日マイナス1度旧 荘川村の中野地域は昔村一番の繁華街だった。盆踊りや秋祭りなどとても楽しみだった〓と言う年輩の方々が口を揃えて懐かしがる。その故郷がダムの底に沈むとはまさに晴天の霹靂〓村一番の肥沃な土地がどうして〓死守会の人達はギリギリまで抵抗した。埋もれた歴史の数々。今となっては湖低に沈む村〓沈黙の宝庫。真実の歴史が明かされる時が来た。弱者が泣き寝入りする時代は終わった。正義が勝つ時代が到来。長いものにはまかれろの時代にはおさらばして〓勇気を持って真実の歴史を今語ろう〓
2013年11月21日木曜日
赤谷城は巨大な軍艦のよう
深山奥山だより 11月15日マイナス2度 御母衣ダム対岸落部集落の山道を白川郷方面に向かって下ると車はここまでという場所に行き着く。そこに車を置いてひたすら二時間山の斜面を歩き続ける。突如巨大な軍艦を思わせる城跡が〓とは第一発見者の田口氏の言葉。現地に再び同行させていただいてびっくり仰天〓こんな所に巨大な城跡があったとは誰も想像しない。なぜこれほどまでの城が後世まで言い伝えられなかったのか〓ミステリーな歴史があるようだ。お誘いくださった鷲見氏は白山の真実としてホームページに書き残してみえる。何故口封じされたのか〓この城は金山で栄えた古城で鷲見氏はその城主の末裔と言われる。いずれ真実の歴史が証される時も来るだろう。今は御母衣ダムの湖低に沈められた中野、赤谷、和田、秋町集落は、荘川、白川の中でも一番肥沃な土地でお米も沢山収穫された。その高台にそびえるお城〓又白川郷、清見、福井、牧戸方面に続く道を四方八方一望できる場所に城を築いた。田口氏によると高い山に築くのは古い形態。北
側は断崖絶壁、南側は建物が建っていたと見られる広さ。のろしを上げる場所などおおよそ見当がつくようだった。600人位の体制で長い歳月をかけて掘った城跡ではないかとも言われた。全てはこれからだ。闇に葬られた歴史の真実がようやく明かされる時が来たのか〓
側は断崖絶壁、南側は建物が建っていたと見られる広さ。のろしを上げる場所などおおよそ見当がつくようだった。600人位の体制で長い歳月をかけて掘った城跡ではないかとも言われた。全てはこれからだ。闇に葬られた歴史の真実がようやく明かされる時が来たのか〓
2013年11月18日月曜日
下滝地区
深山奥山だより 11月14日2度 下滝地区に対して上滝地区があった。上滝は越前大野に隣接する尾上郷の地続きであり、上滝金山跡は牛丸地区の西、庄川を渡って上滝川を遡った谷奥で、今日もなお数カ所の廃坑跡を見ることができる。1615年慶長二十年頃上滝山が突然山抜けして、金砂を含んだ土砂が庄川に押し出し東岸牛丸村につづいた。その時山川ともに谷汰りをしたという。そのため牛丸村は砂金採取で大繁盛し、飛騨の西山の大盛りと呼んで他国まで評判になったという。野々俣字新町はかって上滝金山衆の宿舎があったところで一時は千戸の町並みが出来たという。今は野々俣神社に合祀されている金山神社は、もと上滝山上に祀られていた金山神であったという。また、六厩金山の跡である千軒平にも金山神が祀られていたが、その後その祠が六厩の三本松の根元に移され、現在の場所に又移された。
2013年11月15日金曜日
歴史の会散歩日
深山奥山だより 11月12日マイナス2度 朝9時集合荘川歴史の会現地視察日〓一色地区から郡上市鷲見地区に抜け、古道鎌倉道へと続く道を車二台で行く。今は閉鎖となっている一色スキー場を通り越して行くと、突然視界が開け〓ひの口と言う見晴らしのいい道にたどり着く。向かいの山々は栂峠、おさんばば〓うさぎ馬場、烏帽子岳、そして明宝へなどいろんな名前が上がる。勘左衛門の書いた白川奇談にも魔物の棲む山々と記されている所だ。荘川町内をあちこち見てまわり、最後に御母衣ダム方面岩瀬橋を渡った後、左の細道に入ると山手に苔むした石垣が現れる。イノシシ防御の為に築かれたものではないかとの事だった。下滝金山の場所でもある。こんな所があったとは知らなかった。荘川の住民でありながら、あまりに知らなさすぎる〓がみんなの感想。楽しい一日だった。現地視察は理屈抜きに素晴らしい。又行きたい〓
2013年11月13日水曜日
くろちゃん
深山奥山だより 11月11日マイナス1度 寒くなると猫達も居眠りする時間が多くなる。猫語の教科書によると、889年の宇多天皇の日記には、父親光孝天皇から譲り受けた真っ黒な唐猫の記述があり、これが現存するネコの記録としては日本最古のものです。宇多天皇は日記の中でネコの漆黒の容姿や動きの美しさを賞賛し、汝には私の心がわかるだろうなどと愛猫に話しかけたりしています。最近はブログに愛猫記を綴る人が大勢いますが、1100年以上も前に猫日記の先輩がいたのです。平安貴族の生活にネコが溶け込んでいたことは源氏物語や枕草紙などの記述からもわかります〓と紹介されている。くろちゃんは、容姿や動きの美しさは無いけれど、温厚で気の優しい人柄ならぬ猫柄は最高〓ドタバタと甘えた声でついて来て、愛らしい鳴き声で悩殺する。くろちゃんのルーツは唐猫だった。
2013年11月10日日曜日
2013年11月8日金曜日
マユミの木
深山奥山だより 11月8日0度 今朝は霧が立ちこめライトを付けて走る車が多い。低気圧による大荒れの一日と天気予報〓荘川は穏やかな秋晴れが広がった。庭のマユミの木が大きくなって、愛らしい赤い実がパチンとはじけた中から顔を覗かせている。小さな苗木を十年位前に義父に手渡した。いつの間にか大きな木になり美しい実をつけている。まだまだ山々は美しい〓お客様も連日いらしてくださる。ここで誠に申し訳有りませんが、臨時休業のお知らせです。明日9日から22日まで二週間のお休みになります。大変ご迷惑をおかけ致しますがなにとぞよろしくお願い申しあげます〓勝手ながらお許しくださいますように〓ごめんなさい。
タペストリー写真ムサシ君
深山奥山だより 11月7日6度 今日は二十四節気の立冬。冬の気配が立ち始め、各地から初雪のニュースが届く時期だ。気圧配置も冬型となり、この日から立春までが本格的な冬のシーズンとなる。星のカレンダーより〓初夏の頃、えぞぶきの葉がしげる中をムサシ君がついて来た。好奇心旺盛でどこにでも探検に行く。おだてると木のてっぺんまで一っ飛び〓猿飛びサスケと名付けた方がよかったか〓早いものであれからもう立冬。そろそろ紅葉も終わりとなる。
文化展に出品したタペストリーの写真
深山奥山だより 11月6日マイナス6度 文化展に出品したスナップ写真のタペストリーの一枚は実家の二階から写した写真。毎朝軒先のツバメが窓近くの電線にとまって一休みする。決まって朝7時半頃〓それを待ちかねて撮ったもの。新緑の気持ちのいい朝だった。ツバメもきっといい気分なのだろう。
2013年11月7日木曜日
かもしかの子供に逢った。
深山奥山だより 11月4日マイナス2度 朝いつもの三谷でかもしかの子供に逢った。近くに住むおばさんが、よく見かけるのでハナチャンと名づけて呼んでいるという。ちょうど三年前にも大きなかもしかに出会った。どちらもカメラ目線でじっとして身動きしないけれどシャッターを切ったとたんに山の方へ走り去った。しばらくすると親が子を呼ぶのかピーピーと甲高い鳴き声がした。朝からワクワク感動のひととき〓
登録:
投稿 (Atom)